新潟県で生まれ育った私は大学卒業後、幼いころから憧れていた客室乗務員を目指していました。しかし、残念ながら思うような結果は得ることができず、夢をあきらめ、株式会社リクルートに入社しました。そこで、中途採用媒体の営業職として働きはじめたのが、私のキャリアの出発点になります。
当時の私は、憧れの職業に就けなかった無念さや、後ろめたさをどこか感じていた気がします。一方、そのコンプレックスは、何がなんでもここで成果を出さねば、というバネにもなり、仕事に取り組む原動力になっていました。営業職の女性はまだまだ珍しい時代でしたが、次第に周囲から認められる機会も増え、営業という仕事が持つおもしろさを感じ、まい進する日々でした。
というと、順風満帆なキャリアに見えますが、30代を迎えるころから、私はキャリアに対して漠然とした不安を抱くようになりました。目の前の仕事はそれなりに楽しく、責任感をもって取り組めている。でも「この後私はどこを目指し、どうなっていきたいのか?」という自分の将来像がどうしても見えてこなかったのです。
今から30年ほど前の世の中は、「女性は結婚したら仕事を辞めることは珍しくない」という時代。女性が将来のキャリアを自ら語り、どうしていきたいかという明確な意志を持ち、その実現を目指す人は私の周囲には皆無でした。結婚して出産した後に理想とする母親像を語る同僚は複数存在したものの、当時、私には結婚・出産の予定もありません。30才を目前に、今後どう在るべきか、を紐解こうとしても、社内のロールモデルも見つからない。私自身は、自分の将来の姿にイメージがつかないまま、「これから、どうしていけばいいんだろう」という焦りの感情が強まっていったのを今でも鮮明に覚えています。
そんな焦りの中、自分のキャリアの方向性を明確にするために思いついたのは、今までとは異なる環境に身を投じること。今の職場や職務に不満はないものの、職場から少し離れ、冷静に考えていこうと思い立ち、当時実施されていたリクルートグループ内の異動制度を活用して株式会社リクルートスタッフィングに転籍することを選択しました。
数あるリクルートグループの中から「派遣ビジネス」を選んだのは、かつて、短い間ではあるものの私自身が派遣スタッフとして働いていた経験があること、その際感じた派遣事業というサービスがとても良いものだと感じていたからです。
「派遣」という働き方を選択する利用者は、当時女性が圧倒的に多い状況でした。派遣事業という仕組みを考えたり、世の中のサービス認知拡大に寄与したりすることは、私自身の向かうべき方向性を明らかにすると同時に、もしかしたら、同じように迷いを持ちながら働く女性たちに対して、何かできることがあるかもしれないと思ったのがきっかけです。