私は広島県呉市で生まれました。「帆万里」という名前は、船舶関係の仕事をしている父が付けてくれたもので、弟、妹の名前にも海や船に関する言葉が入っています。父は自分の仕事が好きで誇りを持っていたんだなと、ふとした瞬間に思い出します
そんな父は私たちの教育にも熱心で厳しく、いろんな習い事に通わせてくれました。一番記憶に残っているのは、夏休みの暑い日もじっと座ってそろばんをしたこと。勉強は得意にはなりませんでしたが、辛抱強さはこのときに身についたと思っています。
大学3年生になると、周囲の友人と同じように地元の企業を中心に就職活動を開始。幼いころから「○○になりたい!」と夢を掲げるタイプではなかったこともあり、幅広く地元でできる仕事を探しました。結果、家業でもあった農業に親しみを覚え、地元の農業系の団体に就職しました。
そこでは窓口業務や金融商品の推進業務を担当。年間ノルマの達成に向けて動いていたものの、頑張っても頑張らなくても評価があまり変わらないことに、だんだん物足りなさを感じるようになりました。。
そこで、我ながら極端だと思うのですが(笑)。「仕事は私生活を充実させるためもの」と割り切ろうと考え、より働きやすそうなイメージを持った事務職に転職。与えられた仕事はしっかりこなしつつ、プライベートに軸足を置く生活に切り替えました。
2年半ほどそんな生活を送った頃、やはり物足りなさを感じている自分がいて……。「私は明確な目標がないと頑張れない、人から与えられた仕事では満足できないんだ」と、ようやく気がづいたんです。高い目標を目指して、自ら仕事を掴みとってくるような、そんな働き方がしたいと自分の中で霧が晴れたような瞬間でした。