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今回お話をうかがった田中敦士さんは、もともとバーテンダーをしており、友人とコンセプトバーを経営していたそうです。そのまったくの異業種から、ITの世界に・・・
2019-09-13
エンジニアとしてのキャリアを考える上で、スキルアップに不安を持つ方は多いのではないでしょうか。株式会社リクルートスタッフィングが運営するITSTAFFINGでは、スキルアップのために努力されている登録スタッフにインタビューをし、普段のお仕事で気を付けていることや、スキルアップのための取り組み方について、定期的にご紹介します。
今回お話をうかがった田中敦士さんは、もともとバーテンダーをしており、友人とコンセプトバーを経営していたそうです。そのまったくの異業種から、ITの世界に飛び込みました。その後、会社の設立や登録派遣などを経て、現在はフリーランスとして活躍中。これらのご経験を経て、心がけていることはなにかを教えていただきました。
「日本バーテンダー協会にも所属するバーテンダーを6年ほど務めており、友人と一緒に、当時としてはまだ珍しかったコンセプトバーを立ち上げました。スキューバダイビングやサーフィンが好きだったので、コンセプトは『海』。深海をイメージした内装に、BGMは波の音、床には砂を撒いて、雰囲気を出していました」
しかし「一生、飲食をやっていくのは難しい」と考えた田中さんは、バーテンダーの道から離れることを決意した。1995年9月頃だという。
田中さんが転職先として選んだのは、大手通信機器系メーカーのグループ会社で、ちょうど契約社員を募集していた。ITの知識を持ち合わせていなかった田中さんがなぜ?と思うかもしれないが、実は転職先の会社が「〇〇システム建設」という社名だったことから「建設現場の仕事だろう」と勝手に思い込んでいたという。
「配属先に、軍手と作業服を持っていったら、仕事は入力オペレーターというもので、協力会社からヒアリングしてデータを入力し、ファイリングをしていくという業務でした(笑)」
驚くことに田中さんは、このとき初めて本格的にPCに触れたそうだ。しかし、そこから急激な勢いでPCに関する知識やスキルを習得していく。
覚えたExcelやAccessを活用し、顧客に業務改善を提案、推進していくようになる。いつしか田中さんは、顧客はもちろんのこと、勤務先の会社にとっても、無くてはならない存在へと成長していった。もちろん収入も、どんどん増えていったという。
そのような中、会社から田中さんに、正社員化の打診があった。しかし田中さんは断った。
「業務委託契約を結ぶ契約社員ということもあり、当時の月収は90万円ほど。それが正社員になると5分の1ぐらいになってしまうのが嫌だったんです」
対個人での業務委託契約では上限があったのだろうか、田中さんの事情を理解した同社役員から今度は「田中さん、自分で会社を作れば?」と提案された。そうすれば対法人で業務委託契約ができるという。
結果、田中さんは会社を立ち上げ同社の仕事を続けていった。その後も、大手シンクタンク、コンビニチェーンなどに向けたさまざまな仕事を手掛ける。
「ある自動車メーカーの東京本社におけるシステム構築プロジェクトの仕事を受けました。そこでは、システム管理の責任者を任され、ヘルプデスクの設置や、Notes Dominoを使ったイントラネット環境を構築するなど、さまざまな仕事を手掛けました。3000万円近い予算を承認無しで動かせるのが面白くて仕方ありませんでした」
当時の月収は20代半ばにして150万円に達していたという。と、ここまでならよくあるサクセスストーリーだったかもしれない。しかし、この後、田中さんは大きなアクシデントに見舞われてしまう。
トントン拍子に、エンジニアとしてのスキルの幅を広げ、収入を上げてきた田中さんだったが、事故に遭い、うつ病を発症してしまった。
「あの時は本当に大変でした。何をするにも気力が湧かず、思考能力が低下し数字も6までしか数えられなくなってしまったんです。結局、医師に従い、仕事を休んで静養するしかありませんでした」
業務を離れ、休養をとることにした田中さんは無職となった。休養後、仕事を復帰するに当たり、田中さんが選んだのは登録派遣だった。派遣先についての希望も、地理的な条件のみ。
そして紹介されたのが、通信事業者の基地局刷新のための進捗管理のプロジェクトだった。
「Excelが使える人を募集していて、当初は一般派遣の平均的な時給でしたが、最終的には派遣先社員の給与(年収)を上回りました」
もちろんExcelで進捗管理を入力するだけで時給を上げていったわけではない。
プロジェクトには設計会社や施工会社など、複数の協力会社が関わるため、進捗の確認やすり合わせも時間がかかり、何とも効率が悪い。そこで田中さんは、関係する会社のスタッフを定期的に呼び寄せ、一部屋に集めてその場で図面の修正などを行わせた。
また、同プロジェクトでは各担当者からのヒアリングを行うために、ITだけでなく、建築、電力、通信、法律などの知識も必要になる。そこで田中さんは、業務の傍ら、それらの分野の基礎知識を1つずつ身につけていったという。これらの努力により、進捗上の問題点がすぐに明らかになるなど進捗管理の効率が上昇し、田中さんは図面チームのリーダーを任されるようになったのだ。
登録派遣を経て、現在はフリーランスとして、以前も仕事をしていた大手シンクタンクで、業務委託というカタチで働いている。
自身を「雑務のエキスパート」と呼び、毎月100ページ近い顧客への報告書作成や、ネットワークやサーバーのセキュリティー管理業務など、ありとあらゆる仕事をしている。ただし、オーバーワークにならないよう、18:00までには退社するようにしているという。
そんな田中さんに、キャリア形成の極意を聞いてみた。
「私の場合は、人がやりたがらないことを率先してやるように心がけています。若い人は、『スキルアップ』に目が向きがちですが、私はスキルアップではなく、スキルプラスの方が大切だと考えます。あるスキルについてレベルが高い人は自分以外にも大勢います。しかし、いくつかのスキルを併せ持った人となると、その組み合わせ次第ではありますが、かなり限られてきます」
振り返ってみれば、田中さんのキャリアは、何か一つの技術分野を極めていくスペシャリスト型ではない。もともとExcelやAccessの職場での活用と提案からスタートし、現場で発生するさまざまな雑務をこなしながら、異なる分野のスキルを一つひとつ加えていったオーソリティ型と言える。そうして出来上がった稀有な存在に、高い付加価値がついているのだ。
最後に、スキルプラスのために日々実践している手法を紹介してくれた。
「本は1つのテーマについて最低2冊は読みます。1冊は基礎解説である程度全域を網羅しているもの。もう1冊は図解などで、部分的な理解を深めていくものを選んでいます。自宅で使うPCも遊び用と勉強用を分けており、勉強用のPCでは、次の日の仕事のために、いろいろ試したり、人と話すために調べものをしたりしています。そうすることで気持ちが切り替えられるし、勉強用PCのブラウザの閲覧履歴そのものが自分にプラスされたスキルの記録にもなりますよ」
直面する課題を一つひとつ解決していくために努力を続けることは、一見簡単そうに聞こえるが、成し遂げるのは難しい。しかし、結果がついてくることを知っている田中さんは、今日もスキルプラスのために励んでいるだろう。
「フリーランスとして年収1000万円」ーーそう聞くと、自分とは遠い世界、たとえば天才的なコードをスラスラ書けるとか、難しい要件のシステムを巧みに設計してしまう・・・
2019-07-26
エンジニアとしてのキャリアを考える上で、スキルアップに不安を持つ方は多いのではないでしょうか。株式会社リクルートスタッフィングが運営するITSTAFFINGでは、スキルアップのために努力されている登録スタッフにインタビューをし、普段のお仕事で気を付けていることや、スキルアップのための取組み方について、定期的にご紹介します。
「フリーランスとして年収1000万円」ーーそう聞くと、自分とは遠い世界、たとえば天才的なコードをスラスラ書けるとか、難しい要件のシステムを巧みに設計してしまう、そんな想像をされる方もいるかもしれません。今回お話をうかがった永井充さんは、フリーランスとして年収1000万円を実現しているそう。しかも、かつてITスタッフィングで登録派遣のエンジニアとして活躍していた一人です。現在のポジションをどのように獲得していったのでしょうか。
永井さんは大学の水産学部を卒業。当時は、インターネット環境といえば、せいぜい大学や大企業の汎用コンピュータがつながっているぐらい。そのため、永井さんも学生時代にコンピュータに深く関わったわけではなかった。
しかし就職はソフトウェア開発会社へ。1988年のことである。まだインターネット普及前とはいえ、当時すでにコンピュータ業界は今後普及していく期待の業種だった。
永井さんが担当したのは大手証券会社のシステム開発。ターゲットはメインフレーム(汎用機)で、開発言語はCOBOLやFORTRANという今ではマイナーになってしまった言語。研修でコーディングを覚え、プログラマとして活躍した。
「結局、その会社には10年ほど在籍しましたが、自分にはコーディングは向いていないと感じました。それよりシステム全体を見渡すような上級SEを目指したいと思い、転職に踏み切りました」
転職先は営業が中心のシステム開発会社で、永井さんは客先でPMを担当。時代はちょうどWindows 3.1からWindows 95に移行する時期で、ホストコンピューティングからクライアントサーバ型のシステムへの移行も始まっていた。
「サーバーコンピュータもコンパックやIBMのタワー型筐体で、LANも今のようなTCP/IPではなく、Netware社のプロトコルで接続していた時代です。『ダウンサイジング』というキャッチフレーズが流行り、新たなプロジェクトが、それこそ山のように生まれていきました」
永井さんは同社で15年ほど務めたが、結果、この会社も退職することになる。その理由は、担当した大きなプロジェクトで損失を出してしまったこと。悩んだ挙句に責任をとって退職した。
もうエンジニアはこりごりと思い、次に転職したのは外資系保険会社の販売代理店で、職種は営業だった。2011年のことである。
「歩合制なので、売れているうちは収入も大きく伸ばすことができました。最初のうちは、友人や知人を頼って売っていったのですが、次第に手持ちの人脈も尽きてきます。そうなると苦しいですね。しかし、この仕事で、電話や手紙など、人脈構築のために地道な努力をすることを学びました(笑)」
永井さんは、結局、一定の成績を保てず、3年ほどで代理店契約を切られてしまい、無職になった。「奥さんに申し訳ない」という気持ちでいっぱいの永井さんは、警備員のアルバイトをしながらすぐに職探しを始めた。しかし、いくつもの求人に応募し、その都度、面接でスキルや経験を聞かれることの繰り返しが次第に煩わしく感じるようになってきたという。
「そんなとき、知人から聞いた派遣会社のWebページを覗いてみると、いろいろな仕事が豊富にあり、とても驚きました。登録時に自分の職歴やスキルを書いておけば良いのもとても便利でした」
もうこりごりと思ったIT業界だが、20年以上の経験があり、PMまで経験していることは自身の強みと考え、派遣スタッフとして電力系企業や通信キャリア系企業のPMまたはPMOの仕事を選んでいった。
その後も、いくつかの派遣先を経験した永井さんだが、2018年に、派遣からフリーランスへの転機となるプロジェクトに携わることになる。
そのプロジェクトとは、派遣先であるITサービス企業でPMOスタッフとして働くというものだった。
「実質PMとして動いていて、主に化粧品通販会社のコンタクトセンターなどを任されました。改修や機能追加などもあり、常にバックログが10件ほど走っていて、収支を考えながら、人員をどのように配置していくかを考えるのが、とても面白い仕事でした」
このようなプロジェクトを任され、収支や人件費について考えることで業務に対する視野が広がり、フリーランスとして働くことを決めた。
しかし、フリーランスになることに不安はなかったのだろうか。よく言われるのは、仕事が無くなったときに困らないかという問題である。
「その点については、常に5社ほどエージェントと連絡を取り続けています。加えて、これまで派遣でお世話になった仕事先のキーパーソンの方々にも。なかには『今の仕事が無くなったらウチに来て』と言ってくださる方もいらっしゃいます」
今の仕事をこなすだけでなく、先を見据えた営業活動も。こうした地道な関係構築は、かつて外資系保険会社の営業をしていた時に身につけたものだそう。
「ちなみに、無職だったときにやっていた警備員のアルバイトですが、今でも週に1回だけやらせてもらっているんです(笑)。休日は人を集めにくいらしく、重宝されています。これも将来、仕事がまったく無くなったときの保険のようなものですね」
永井さんにとって、フリーランスになって良かったと感じている部分はどこだろうか。
「たとえば年収1000万円を達成するには、ざっくり時給にして5,600円が必要です。その上で月に160時間、そして12カ月間きっちり働かなければなりません。その点、フリーランスは準委任業務という契約なので、契約次第ですが、月ごとに結果を出せれば時間に縛られることがなく、働き方を自分で調節できます」
実際に、永井さんは、そのときの忙しさに合わせて仕事の時間を月140時間から180時間の間でコントロールしているという。
働き方が調節できて収入も向上する“良いことづくめ”のように見えるフリーランス。永井さんの話を聞いて自分も目指したいと思った方もいるのではないだろうか。そんな方に向けて、永井さんから心強いアドバイスをいただいた。
「私は人より優れたコードが書ける訳でもなく、卓越した設計ができるわけでもありません。PMの経験はありましたが、PMとしての個々のスキルだけなら、自分より上の人は世の中にいくらでもいると思います。そんな人たちと、同じ土俵ではとても戦えません。それならば、どうするか。人が嫌がること、やりたくないと思うことを率先して引き受けるようにしています。たとえば、プロジェクトの進捗管理は、担当者から煙たがられるので、多くのPMが嫌がる業務の一つですが、これもしっかりとやる。PMの仕事だから当たり前と思うかもしれませんが、そこがとても大切です」
加えて、永井さんはフリーランスとして活躍するためのポイントとして、きちんと会社に来る、トラブルが発生したときに逃げない、きちんとした恰好をする、の3つを挙げてくれた。「こうした当たり前のことを続けるだけでも大きな武器になる」という。
「フリーランスか派遣社員かというのは契約上の問題に過ぎません。大切なのは周囲の人たちに、いかに気持ち良く仕事をしてもらうかということです。たとえば、トラブルが発生したときに逃げないこと。これは、自分自身が解決に直接役立てなくても構いません。とにかくその場にいることが大切なのです。誰かを手伝えるかもしれないし、チーム一丸となって解決に当たるんだ、というムードをその場に作り出せるかもしれません。何ができるのかではなく、どう動くのかが大切です。きちんと仕事をしていけば、道は必ず開けてきます」
なにが自分の強みなのか、しっかり理解している永井さん。スキルを上げることももちろん大切だが、それとは別に、自分が周囲のためにできることを探してみるのも良いかもしれない。
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