17年間一つの会社に正社員として勤務していた増竹芙希子さん(48)。40歳のときに病気を発症し、さらに仕事の忙しさからうつ病と診断された。3年間の休職後に大合唱「1万人の第九」に参加。うつ病を患いながらのステージではどんな思いを感じたのだろうか。

*今回はオンラインで取材を行いました
*掲載しているお写真は、ご本人より提供いただきました

スーパーバイザーとして、真摯に取り組んでいた

増竹さんは事務の一部をアウトソーシングする会社に17年間勤めていた。スーパーバイザーとして、事務作業から進捗状況の確認、派遣スタッフやパート社員の管理までも担当。案件ごとに関わる期間もメンバーも異なったが、どの現場でも概ね人間関係は良好だった。

ときには、システムトラブルに見舞われて、イレギュラーな対応や残業を強いられる場面もあったというが、それでも真摯に仕事に取組みながら、おおかた順調に過ごしていたそうだ。

繁忙期がやっと落ち着いた。そう思ったときに

しかし、増竹さんの体に不安な出来事が重なる。

「体に異変を感じて病院を受診すると、ある病気が見つかりました。今は回復していますが、当時はしばらく通院を余儀なくされ、薬の副作用がきつかった日もあります」

ちょうどその頃、業務が繁忙期に差しかかる直前だった。度重なるメンバーの異動があり、当初想像していた忙しさとはまた別の負担を抱えてしまったそうだ。さらに取引先が大きかったこともあり、ミスのできないプレッシャーを感じるように。

「取引先の受注予定を見ても、所属部署の年間売上5本の指に入ることがわかっていました。これは絶対に失敗出来ない。そんなプレッシャーからか、休日も仕事が頭から離れなくなって、夜は不眠傾向。薬の副作用も手伝って、今思えばかなり体もきつかったです。それでも半年程度で繫忙期が過ぎて、“やっと落ち着いた”そう思ったときに、ある朝突然起きられなくなりました」

しかし、増竹さんは会社を休まず、這うように出勤したという。

「私がいないと業務が回らないと思ったんです。それに、以前私が病院で治療を受けているときに、会社から急ぎの連絡がきていましたが、すぐに電話に出られませんでした。後から大騒ぎになっていたと聞いて、そのときの恐怖感が残っていたのかもしれません。そもそも私がいなくても回るようにしておけばよかったんでしょうけど…」

朝起きられなくなり、それ以降徐々に会社に行くことが辛くなった。あるときは、自分の体が地面に吸い込まれていくような重たさを感じ、自分が自分でないような感覚も覚えたという。

「何とか体を引きずって出勤していましたが、今考えるとやっぱりおかしかったと思います。毎週月曜日にある朝礼を3週連続で忘れていたり。仕事のスピードがかなり遅くなり、気づくと自分の周りにやりかけの仕事が散乱していました。ファイルは開きっぱなし、扉は開けっ放し、メモしたものはそのまま放置…。次第に同僚からも心配されて病院を受診すると、うつ病と診断がつきました」

増竹さんは、その後3年の休職期間を過ごすことになった。

ゆっくりする自分が許せない

うつ病と診断される前に、誰かに愚痴をこぼしたり、相談する機会はあったかうかがうと、「これくらいの忙しさなら大丈夫だろうと思っていました。それに、元々自分で何とかするタイプで人に頼ることも苦手。ただ、プライベートで友達に会う時間と心の余裕はなかったです。人に迷惑をかけてはいけない、それに相談したところで解決にはならないだろうって決めつけていたんでしょうね」と増竹さん。

休職期間もしばらくは気持ちが休まらなかったそう。ゆっくりしている自分が許せなかったり、仕事をしていない焦燥感や、中々復帰出来ない状況に不安とイライラが募るばかり。

休職してから2年程経ったとき、主治医に「辛いです…」と涙を流しながら本音を話せた。このあたりから少しずつ心身の状態も良くなってきたそうだ。その後、体を慣らしたのちに会社に復帰した。結果的に、心と体が休まるまでに、約3年かかったそう。

しかし、休職している間に業務内容も大きく変わり、以前のように目一杯働けないため、負担の少ない仕事ヘの異動を希望するも、それが叶う勤務地は郊外に移っていた。片道2時間かかる通勤は負担が大きいと思い異動は決断できず、最終的に会社を退職した。その後アビリティスタッフィング*に登録し、同時期に精神障害者保健福祉手帳を発行。新しい職場は契約社員からスタートし、現在は正社員となって、無理のない体制で働いている。
*リクルートスタッフィングが運営する精神障がい者の方向けの人材紹介事業

大合唱「1万人の第九」に参加してからの変化

休職期間中にたまたまテレビで見た、大合唱「1万人の第九」が転機になった。

これは、ベートーヴェンの「交響曲第9番」の演奏と合唱を主体に構成される音楽興行で、1983年から続いている由緒あるコンサート。各地域別に練習を積み重ねて、12月に1万人が集結して大阪城ホールでコンサートが行われている。

「元々音楽は好きでしたが、休職期間はそれすらも興味が湧かずにただボンヤリと過ごしていました。でも、たまたま親がつけていたテレビで第九が流れていて、なぜか“体調が落ち着いたら参加したい”とそのとき強く思いました」

社会復帰後、新たな会社に働き始めて3ヶ月経ったころに、その年の「1万人の第九」の募集が始まった。体調面での不安があったものの、途中でダメになったら諦めればいい。しかも、参加者は抽選なので当たらないだろうと思いながら応募すると、なんと当選。

合同練習は会社帰りに参加した。心配していた体調も崩すことなく、楽しさの方が上回っていったという。結局一度も練習を休むことなく、当日、大阪城ホールで本番を迎えた。

幅広い世代の歌声が一斉に大阪城ホールに響き渡った。1万人の圧倒的な音の迫力と、無事にコンサートを終えた満足感で、気付けば涙が頬をつたったと語る。

「体中にみんなの歌声が入ってくるような感じでした。今まですごく大変だったし苦しかったけれど、どうにかここまで乗り越えてきた。とくに『歓喜の歌』をこの場で歌えたことで、自分が生きている、皆に支えてもらいながら生かされている、と実感出来たんです。本当に大きな喜びとなりました」

今勤めている会社は、明日でもいいよ、頑張りすぎなくていいよと体調に寄り添ってくれていて、安心して働いているそうだ。増竹さん自身も、大変なときは大変だと口に出せるようになったといい、自分らしく、自分のペースで進むよう心がけているそう。

1人で生きているわけではなく、みんなに支えてもらっていると語る増竹さんは、肩の力が抜けて表情も明るい。今しなやかに過ごせているとしたらとても嬉しい。

「1万人の第九」の前日にもお参りした神社

祖父が神主だったという影響もあり、子どものころから神社やお寺が人より身近な環境で、そういった場所に行くと気持ちが落ち着くそう。御朱印帳は伯父から勧められたことがきっかけで持ち始めた。「1万人の第九」の前日にも成功を祈ってお参りした。「神社へ参拝するごとに思い出にもなって楽しいです」

猫は、神社や寺など境内でよく出会うので、見かけたら写真を撮っている。元々犬派だったが、いつからか猫にも愛着が湧くようになったそう。

ライター:松永 怜(まつなが れい)

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