私が走る楽しさに目覚めたのは、小学校6年のころ。テレビ局主催の小学校駅伝大会で、全国高校駅伝でおなじみの都大路コースを走ったことがきっかけでした。もっと走りたい、もっと速くなりたい、そんな気持ちで中学では地域のクラブチームに入り、高校は一般受験で全国高校駅伝の常連校である立命館宇治高等学校に入学しました。
立命館宇治高等学校の女子陸上競技部のメンバーは、ほとんどがスポーツ推薦で入学したエリートランナーたち。私は最下層からのスタートでした。そのため、監督が作る練習メニューだけでは彼女たちに追いつけないと感じ、人一倍の練習をしましたね。10キロ走れと言われたらもう3キロ、腹筋1日100回と言われたら200回と言う感じです(笑)。
大学も立命館大学に進学。3年時からは駅伝部キャプテンを務めました。最も印象に残っているのは、キャプテンという立場ながら、一度補欠になったという経験です。レースに出られないのに、チームの代表として気丈に振る舞わなければいけない──そんな複雑な状況は、当時21歳だった私には辛いことでした。それでも、上に立つからには、他人に厳しく、時には嫌われ役を買って出なければいけません。当時は、「嫌われてもいいから、キャプテンとしてやるべきことをやろう。その代わりに誰よりも練習して絶対に結果を出し、背中で語るリーダーになろう」と覚悟していました。
その結果、同級生や先輩・後輩の支えもあり、メンバーが切磋琢磨してついてきてくれ、チーム一丸となって頑張りきれたのは、振り返っても貴重な経験だと思います。