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「元刑事」。相手の心を開く目と言葉を武器に、社会の課題にコミットしたい

強面、鋭いまなざし、押しの強さ……「元刑事」という事前情報に勝手なイメージを抱いてやや緊張気味でいたところに、「お待たせしました!」と現れた榎本澄雄さん(42)。はにかんだような笑顔がさわやかだ。ステレオタイプすぎる先入観はすぐにくつがえされたが、まっすぐな視線や凛としたたたずまいに、鍛え抜かれた芯の強さがしのばれる。
自ら起業しながら、現在通信インフラ会社で派遣スタッフとしても働く榎本さんは、「刑事の仕事が私の原点」ときっぱり。「刑事さんってどういう仕事ですか?」と尋ねると、すぐさま「人の話を聞くことと書類を書くこと」と答えが返ってきた。

供述調書は、上質の「ノンフィクション小説」

「意外かもしれませんが、刑事の仕事って、8割方、供述調書や報告書の作成なんです。私は知能犯担当が長かったので、なおさらかもしれませんが」と榎本さん。

「最も大事なのは、被害者や被疑者からいかに信頼され、いかに話を聞きだすか。優秀な刑事が作成した供述調書なんて、一人称の上質なノンフィクション小説のような読み応えがあるんですよ」と言う。

尊敬する先輩から学んだのは、「情理を尽くして話を聞くこと」。

「相手の心の扉が1mmでも開けばチャンスがある。でもこじ開けることはできない。その1mmを開けるために大事なのは権威(理)ではなく好意(情)。まず信頼関係を築くためにも情を尽くすのです」

被疑者であっても人としてのリスペクトを忘れない。ささいなように思えるが、たとえば相手が涙を見せたらティッシュを渡すとか、取調室の椅子が硬ければ座布団を出すとか。

「ちゃんと向き合って話す姿勢は相手に伝わる。これは今でも私の基本です」

仕事にのめり込んだ30代。数々の表彰も。

2013年1月末に辞職するまで11年間警視庁に勤務。主に企業犯罪、組織詐欺、横領・名誉毀損事件など知能犯罪を担当し、都内で最も多くの告訴事件を扱う麻布署時代から、6年あまりで4度の警視総監賞をはじめ、数々の賞を受賞した。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍ぶり――。

「20~30代のイケイケの時代でしたからね。仕事が面白くて仕方なかった。やればやるほど成果が出て階級もどんどん上がったんです」と榎本さん。「いつの間にか周りはみんなライバルという感じで精神的にはきつかったし、結局家庭も壊してしまったのですが、仕事さえできればそれでいいと思っていたんです」と苦笑する。

ところが、私生活を犠牲にしてまでのめり込んでいた仕事が、警部補への昇任と同時に転属された警察署で一変する。転任直後に麻薬密売人を職質検挙するという功績を挙げたにもかかわらず、なぜか刑事の職を外され、警務課で防犯業務を担当することになったのだ。

「ひったくりや振り込め詐欺の統計をとったり防犯チラシを配ったり。それも大事な仕事なんですが、ずっと知能犯捜査をしてきて、『これこそ俺の仕事』とやりがいと誇りを感じていたので、刑事でない自分を受け入れることは容易ではありませんでした」

最終的な辞職の経緯はここでは伏せるが、当時は、極度のストレスで顔面神経痛を患ったほど。20km近い通勤路を毎日電動自転車で通い、体を酷使することでやり場のない憤りを鎮めていたという。

警察を辞め、教育の道へ。

37歳で警視庁を辞職した榎本さん。飲食店やコンビニのアルバイトで糊口をしのいでいたところに、学生時代のアルバイトが縁で予備校講師の仕事が舞い込んできた。

予備校から依頼されたのは、一方的に教えるのではない、課題解決の方法を対話で探るファシリテーション方式の授業。刑事時代はとにかく自分が成果を挙げるのが一番で、人に教えた経験もなかったが、高校生を前にした授業で、思いがけず「できる」と手ごたえを感じたという。

「表情のどこを見るか。何を質問すれば、その子の本心がわかるか。相手の心の扉を開ける目と言葉を私は持っていた。それは刑事時代に自然に身についたものなのだと気づきました」

生徒の気持ちをつかんで自らやる気にさせる授業が注目され、教師向けの実践発表や大学の授業でのゲストスピーカーの機会を得た榎本さん。教育をテーマにした講演や研修のオファーも増え、2015年7月、教育や広報、危機管理のコンサルティングを業務とする株式会社kibiを立ち上げた。

モットーは、「速い反応、鋭い感覚、広い視野」

榎本さんがこれから手掛けていきたいのは、社会貢献的な、けれど、きちんと自社の利益にもつながる仕事。今年の1月には、遵法の視点から発達障害の人への支援を説いた本『元刑事が見た発達障害~真剣に共存を考える』(花風社)を出版し、「誰も教えてくれなかったことが書かれている」「法を犯す、法を守るとはどういうことなのかが理解できる」など、読者からも高い評価を得た。

株式会社kibiのモットーは、「速い反応、鋭い感覚、広い視野」。実は、これは刑事警察のスローガンなのだとか。

「ちょっと恥ずかしいんですけどね(笑)。刑事から民間に転じるということには、ふつう葛藤がある。刑事の経験が企業で通用するとは思えないと、昔の同僚はみんな言っていました。でも私にとっては、刑事の仕事が原点。警察にいた頃から『被疑者も被害者もクライアント』と学んできたからこそ、事件を解決するだけでは救えない、家庭や家族、お金、仕事にまつわる人間の難問にも対峙していきたいですね」と意欲にあふれる。

寝食を忘れるほど身を捧げ、無我夢中で走っていた刑事時代。被疑者にも被害者にも誠実に向き合うことで磨かれた思考とスキルは、これから先も、榎本さんを支えるかけがえのない武器になるのだろう。

幸運のジンクスに従って、ボールペンは「青」


「1字1句、とにかくメモをとれ」と、刑事時代にたたき込まれた。いつもスケジュール帳、スケッチブック、付箋を持ち歩き、思いついたアイディアやネタをどこでもすぐに書き込めるようにしている。

スケジュール帳は、2週間見開きの「yPad(ワイパッド)」。見開きごとにフリーページがあるので重宝だ。スケッチブックには講演や執筆のアイディアやエッセンスを書き出してまとめていく。原稿用紙は小説用。「刑事小説を書いて新人賞に応募するのが目標です。手書きにしているのは、このほうがいろいろなインスピレーションが湧くような気がするから。まあ、カッコつけてるだけってところもあるんですけどね(笑)」

筆記用具はもっぱら青のボールペン。「警察にいた頃、昇任試験の論文をブルーブラックで書くと合格するというジンクスがあった」のがその理由だ。

水筒の中身は、家で淹れたコーヒー。「電子機器を多く扱うので、蓋がしっかり閉まる水筒にしているんです。本当は水筒なんか持ち歩くタイプじゃなかったんですけど、意外と便利で」と照れる。

ライター:高山 ゆみこ(たかやま ゆみこ)
カメラマン:坂脇 卓也(さかわき たくや)