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嘘を誠にするために。がむしゃらに頑張った日々がいまにつながる

自営業で行う事業を成功させるため、その資金を稼ぐ永野優さん(53)。「楽しいので、夜間に海外とのやり取りが続いても苦痛に感じません」と笑顔で語る。その原動力はどこにあるだろうか。熱い想いをうかがった。

本業のために派遣スタッフとして働く

自営業で、海外向けに化粧品の開発コーディネートをしたり、国内外の「良いモノ」を輸出入している傍ら、派遣スタッフとして働く永野さん。自分で事業を行っているのに、なぜ派遣でも働くのだろうか。

「この仕事って事前投資が大きいんです。サンプルを送ったり、現地に行って商談したりするのにお金を使うけど、やっぱり他社にお願いすることにしたって言われたら全部チャラ。商談が成立したとしても、お金が入ってくるのは注文をもらったとき。だから、派遣で事前に必要なお金を稼いでいるんです」

自営業の仕事は始めたばかり。まだまだ資金が潤沢でないため、派遣スタッフとして働いているのだ。とはいえ、お金稼ぎのためだけに働いているわけではない。

これまでの職務ではBtoBが多かったことを受け、BtoCでお客様の声を聞くために服飾関係のテレコミュニケーターを、そして、海外貿易の実績を積むために貿易事務をと、自営業に活かせる仕事内容を選んでいる。

日本の化粧品を世界に広めたい

永野さんはなぜ、自営業の仕事に化粧品を選んだのだろうか。それは、6年ほど話が遡る。

永野さんが2012年4月から約4年間務めていた職場は、ブランドから依頼されて化粧品を製造するOEMの化粧品メーカー。化粧品に興味があったわけではなく、経営関連の仕事がしたくて選んだ職場だ。

化粧品業界は、薬事法規制に守られていて、新規ではそう簡単に参入できないとしたら、逆に、一度入ってしまえば楽なのでは――。日々の業務をこなすうちに、ある程度知識や経験を積み重ねていった永野さんは、そう考えた。

「同業者のほとんどは、日本国内を相手に商売しているんです。だったら、海外を相手にすれば、非常にニッチだし、勝算があると思いました。また、自分の勤務先はヘアケア専門だったのですが、需要のあるスキンケアの仕事もするために独立しようって思ったんです」

日本の化粧品は、世界的に見ても非常に高品質。ところが、海外ではあまり扱われておらず、その認知度はあまり高くないのが現状だ。だったら自分が広めればいい。こうして、永野さんの挑戦は始まった。

何者でもない、自分は自分

永野さんは、自分のキャリアを「常に下駄を履いていた」と言う。

「転職をするときによく、本当はその手前までの経験や実績がなくても、やったことがあることにしていたんですよね。つまり、僕は嘘つきだった。下駄を履いて自分を大きく見せていたんです。だから、その嘘を誠にするために、下駄を履いた自分を本当の自分にするために、がむしゃらに頑張るしかなかった。正直辛かったです」

その根底にあったのはコンプレックス。自分には何の専門性もない。秀でているものがない。器用貧乏で、大体のことはそこそこできるようになるけれど、それ以上にはなれない。アイツに比べて自分はイマイチだ。

そんなジレンマが吹っ切れたのは、件の化粧品メーカーで、入社直後からスリランカの子会社にマネージャーとして赴任したとき。

「スリランカって日本人がほとんどいないんですよ。私が行った街は人口1万5千人に対して僕一人だけ。圧倒的マイノリティです。そこでの自分はイコール日本、イコール日本人。だとしたら、一個人として立派だと言われる人間になりたいと思ったし、自分でもそう思っていたいって考えるようになったんですよね。そうなったら、誰かと比べるどころじゃなくなりました。比べる相手は過去の自分になったんです」

永野さんの目の前は一気に開けた。身体を縮こまらせていたコンプレックスやジレンマはガラガラと音を立てて剥がれていき、一個人として大きく立ち上がることができたのだ。

父の死をきっかけに、自分の人生を見直した

2018年8月、永野さんの父が亡くなった。15年ほど前に熟年離婚していた永野さんのご両親。以来、父とはほとんど連絡を取っていなかった。また父も、周囲の人たちに自身の家族の話を一切していなかった。

そのため、葬儀に訪れてくれた父が通っていた英語教室の方たちは、喪主である永野さんと、その横に立つ永野さんの姉を見て、家族がいること自体に驚いていたそう。

「父を見つけてくれたのは警察だったんです。だから亡くなった日も推測。周囲とコミュニケーションをとっていなかったゆえですね。自分のことを発信していなかった。生きるうえでのコミュニケーションの大切さを強く思い知らされました」

同時に、もう一つ。

「自分の人生を自分で舵取っていかないといけないなって。僕は、思いがけず家族がバラバラになった。でも本当は、自分でどうにかできたかもしれない。だからこそ、だれかにコントロールされるのではなく、自分で舵取りして、いち早く海外に飛び出したい」

永野さんの夢は、5年後に自分のブランドで化粧品を販売し、10年後には様々な国でそのブランドのブランドホルダーだと認知されること。

永野さんの挑戦はまだまだ終わらない。

いつでも、どこでも商談ができるように

取り扱う商品は、バックグラウンドを調べて面白いと思ったもので。さくら麹シリーズや、ヒューミックアミノシャンプーなどがある。

「例えば、フルボ酸という太古の植物が混ざって腐食発酵した土に含まれる天然成分を使用しているシャンプーとか。フルボ酸を扱っている会社はおそらく日本でも希少なんだけど、これを使えばまさにオンリーワンのメイドインジャパンが作れます」

商品企画の際に、ダイアンボヌールシャンプーなど他社の売れている商品を例に見せながら、処方や容器デザインに関するやり取りをすることも多い。

PCは家に帰る前に、カフェなどで仕事をすることも多いので常に持ち歩けるノート型。資料を作るだけでなく、オンラインで商談することもあるので、まさに仕事の必須アイテムだ。

ライター:小山 典子(こやま のりこ)
カメラマン:坂脇 卓也(さかわき たくや)