どんなに順調にキャリアを重ねていても、人生、いつ何が起こるかわからない。現在、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブにて、会計・税務関係の仕事に携わる田畑竜さん(49)。彼は家族の介護をするため、40代で大きなキャリアチェンジを経験することになった。その出来事を経て、彼の考え方はどう変化したのだろうか。
会計士として重ねたキャリアが40代で途切れる
約4年間にわたる米国留学経験と、そこで培った語学力。監査・税務のスペシャリストの証である、米国公認会計士(USCPA)の資格。そして、外資系企業にてシニアアソシエイトとして勤務した実績――。
田畑さんがこれまでにたどってきた経歴を並べてみると、専門職かつ、非常に充実したビジネスマンのキャリアが想起される。実際、30代になるまで、「もっと成長したい」「自身のスキルを活かして専門的な仕事がしたい」という意欲をもち、仕事に邁進していたという。
しかし2009年、41歳のときに田畑さんの人生は一変することになる。そのきっかけとなったのは、実の母親の介護だった。
「はじめは母のケアをする必要があり、アカウンタントとしてのキャリアは諦めざるを得ませんでした。それから家族と協力し、5年の歳月をかけて、再び自分が働くための体制をコツコツ作ってきたんです」
行政サービスをはじめ、介護についての知識がその時あれば、仕事との両立は可能であったかもしれない。復職までに5年かかることもなかったかもしれない。そう、田畑さんは振り返る。
「ただほとんどの人にとって、介護のための環境作りははじめての経験です。子育てなどと同じように、試行錯誤して自分たちなりの体制を作っていくものなのかもしれませんね」
サーフィンに熱中し、約4年のときをアメリカで過ごす
そもそも田畑さんが20代の頃、アメリカに留学をしようと考えた背景には、「英語」と「サーフィン」への憧れがあったそうだ。
「大学時代に、友達の誘いでサーフィンをはじめました。だんだんのめり込むようになり、就職して2年ほどは平日普通に働いて、土日になると海に行っていたんです。でも私の場合、週末だけやっても全然うまくならなかったんですよ。そこで考えたのが、アメリカ留学でした」
「英語が話せるようになりたい」という漠然とした憧れと、サーフィンへの渇望。田畑さんはカリフォルニア州サンディエゴで新しい生活をスタートすることになる。サンディエゴは、世界でも有数のサーフポイントがある街だ。
はじめは6ヶ月程度、英語を習得するまでの滞在予定だった。しかしその目的は、「英語を学ぶ」ことから、「英語を使って何かを勉強する」ことへと、次第に変化していく。
「だんだん、英語のために英語を勉強していてもつまらないと思うようになって。そこでコミュニティカレッジで、会計学を専攻することにしたんです」
サンディエゴでの生活が肌に合ったこともあり、田畑さんのアメリカ留学期間は、結果的に3年8ヶ月にも及ぶことになった。
仕事は「自分の成長のため」。でも幸せとはいえなかった
1997年、29歳で日本に戻ってきた田畑さん。英文経理の仕事をしながら、2001年にUSCPAの資格を取得。そしてその資格を活かすため、外資系の会計事務所で働きはじめた。
当時の原動力になっていたのは、「いかに自分が成長するか」。
しかし忙しく仕事に取り組む中、どこか違和感を覚えることも多くなっていったそうだ。
「自分なりにがんばっているつもりでしたけど、常にピリピリ、イライラしていたように思いますね。責任ある仕事ですから、それなりにプレッシャーもありました。今思えば、心から楽しく、幸せに働いていた……というわけではなかったかもしれません」
だからもしかすると、母親の介護が必要にならなかったとしても、仕事を辞めていた可能性もある――田畑さんは、そう冷静に当時を振り返る。
5年間の“プロジェクト”を経て芽生えた周囲への想い
会計事務所の仕事を辞め、介護がはじまってからは、とにかく試行錯誤の連続だったそうだ。家族やヘルパーさんたちと一つひとつ協力体制を築き上げていく中で、田畑さんの考え方も少しずつ、着実に変わっていった。
田畑さんにとってこの5年間は、仕事と人生の距離を見つめ直す時間になった。
「介護ってひとつのプロジェクトなんですよね。全部自分でやろうというのは無理。適切な役割分担を行ない、少ない労力で最大限の効果を出せるようなしくみをつくっていかないと。その中で、サポートしてくれる人のありがたみをしみじみ実感するようになりました」
その“しくみ”がなんとか整ったとき、田畑さんは再び働きはじめることに。
そしてそのとき、彼が強く感じたのは、「成長したい」という気持ちではなかったそうだ。
「自分のためではなく、人の役に立ちたい」――。
2017年4月から、田畑さんは専門職の派遣スタッフとして、週に3、4日都内のオフィスで働いている。自身の武器だった、語学力や専門知識を活かせる職場だ。
本当はフルタイムで、週に数日だけリモートワークできるのが理想だという。でもまだまだ、それを正社員雇用で許可してくれる会社は少ないのが実情だ。
「今の仕事や生活に100%満足しているわけではありません。でも仕事がしたくでもできない時間を過ごしたことによって、自分の価値観は大きく変わりました。これからは、誰かの役に立つ仕事をしていければいいと思っているんです。さらにできることなら、私がこれまで積み重ねてきたスキルや実績を活かすことができれば十分です」
サーフィンを通して実感できる「感謝」の気持ち
マウスとマウスパッドは、自宅でもオフィスでも愛用している田畑さんの私物。パッドは手首部分のクッション性が高いので、長時間使っていても疲れにくいのだそう。
袋に入れて持ち歩いているローズマリーの葉は、ご自身が庭で育てているもの。リラックスしたいときに香りを楽しんでいる。
オフィスに出勤しない日は、散歩やランニングをするような感覚でふらりとサーフィンに行く。家から歩いてすぐの海岸が、田畑さんの通うサーフポイントだ。
だからビーチサンダルや日焼け止めは、常に欠かせない大事なアイテム。これだけ容量がたっぷり入った日焼け止めは日本になかなか売っていないため、海外製のものをまとめ買いしているのだとか。
「自然相手ですから、海の状態がいい日も悪い日もあります。最高のコンディションでサーフィンができた帰りは、なんというか……『ありがとう』と感謝するような気持ちになるんですよね。何か特定のものに対してというわけではなく、もっと大きな意味で。あらためて言葉にするとなんだか恥ずかしいですが、それはサーフィンをはじめた20代の頃から、ずっと変わらない気持ちです」
ライター:大島 悠(おおしま ゆう)
カメラマン:福永 仲秋(ふくなが なかあき)