「ちゃんと説明しているのに、なぜかピントの外れた答えが返ってくる」「顧客へのヒアリングに基づいて提案書を作成したつもりなのに、『うーん、ちょっと違うんだよね』と言われてしまった」……システム構築をはじめとするビジネスの現場でよく聞くこんなコミュニケーションのずれは、なぜ生まれてしまうのだろう。そして、このずれを解消し、スムーズに気持ちよく仕事を進めるコツとは何だろうか?
▲人材教育コンサルタント、田中淳子氏
ITスタッフィングを運営するリクルートスタッフィングでは、ITエンジニアやクリエイターとして働く派遣社員がスキルアップし、付加価値を高められるようサポートする取り組みを始めた。その第一弾として、グローバルナレッジネットワークの人材教育コンサルタント、田中淳子氏を招いてのセミナーを3月25日に開催。「エンジニア・クリエイターのコミュニケーション能力の向上を図るセミナー」と題し、ワークショップを交えながら、23名の来場者に対し「対人力」を高めるコツを伝授した。
@IT自分戦略研究所の連載記事「田中淳子の“言葉のチカラ”」でおなじみの田中氏は、日本DECで技術教育エンジニアとしてキャリアをスタートし、長年にわたり、主にITエンジニアのヒューマンスキル研修プログラムの開発、実施に当たってきた。新著「ITエンジニアとして生き残るための対人力の高め方」に盛り込まれた内容や、自身が日々の仕事の中で「もやッ」とした経験もちりばめながら、セミナーは進められた。
その言い方では伝わらない?
「急で申し訳ありませんが、本日はお休みをいただきます」――朝の通勤途中、いつも10時開店のお店にこんな張り紙がされていたら、あなたはどう思うだろう? 「今日お休みなのかな。それとも昨日お休みで、まだ張り紙をはがしていないのかな?」と迷わないだろうか。そうした労力は、「本来ならば使わなくていい余計なエネルギーを使わせるもの。お店に『察する力』が足りないと思います」と田中氏は指摘する。
ならば正解はどうあるべきか。「具体的に『3月25日(金)はお休みします』と書いてあれば、いつのことなのかが明確になり、迷う必要はなくなります。加えて『明日(3月26日)は通常通り開店します』、さらに『10時にオープンです』ならば、客にとってさらにありがたいでしょう。こういうお店の店長は、メッセージを客がどう思うのか、どう伝わるのかを考えられる、『察する力』を持った人だと思います」(田中氏)
では、なぜこの「察する力」の有無が重要なのだろうか。それは、人が気持ちよく働けるかどうかに関わってくるからだ。田中氏は次のように説明した。「どういう人と共に働きたいかを考えると、『気持ちよく働ける人』がいいと思いませんか。ではどうすれば気持ちよく働けるかというと、環境もありますが、コミュニケーションに関して余計なエネルギーを使わなくてすむことが大事です」
普段の業務を振り返ってみると分かりやすい。受け取ったメールの内容が曖昧で「これってどういう意味だろう?」と悩んで何度も相手に質問するなどのやり取りをしたり、お願いしていた成果物が指示とは全く違っていたり……そんな体験をした人は多いのではないだろうか。些細(ささい)な話に思えるかもしれないが、あいさつ一つとってもそうだ。「おはようございます」とあいさつしたのに返事が返ってこないと、「機嫌悪いのかな? 私が原因かな?」と気にする人もいる。「こうしたことは全部余計なエネルギーを使うもの。仕事とは関係ないところで消耗してしまいます」と田中氏は述べた。
IT業界特有の問題もある。「提案のプレゼンテーションを聞いていたら、よく分からない専門用語がいくつも出てきて腹が立ってきたり、逆に自分がダメなのかなと落ち込んだりしたという話を聞いたことがあります。特にIT業界には三文字略語が多く、話が見えなくなるケースが多いですね。『CRMって何の略?』と尋ねたら、誰からもはっきりした答えが返ってこなかったなんていう笑い話もあります」(田中氏)
田中氏自身もこんな経験をしたという。「金曜日に『その日は会議ができません』とだけ書いたメールが届きました。こちらとすれば、再スケジュールすればいいのか、どう返事すればよいのかまったく分かりません。そうこうするうちに週をまたいで3日後にようやく『再スケジュールをお願いします。来週はどうでしょう』というメールが来たのだけれど、今度は『来週』がいつを指すのか分かりません。これではエネルギーを消費するだけです」
限られたエネルギーの大半をコミュニケーションに費やすのは無駄無駄無駄!
田中氏はこのように、消耗するコミュニケーションの例を紹介した上で、「どれも、本質ではないところでエネルギーを使っているように思えます」と指摘した。
そもそも人間が持つエネルギーは有限だ。従って「本来ならば『無駄な』コミュニケーションに費やすエネルギーは最小限で済ませ、仕事そのものやクリエイティブなことに頭を使いたいはず」(田中氏)。その貴重なエネルギーの大半をコミュニケーションに費やすのは本末転倒というわけだ。
逆に、上手なコミュニケーションを可能にする対人力があれば、物事をスムーズに進めやすくなる。それだけでなく、ひいては自身の価値を高めることにもつながると田中氏は説明した。
「誰も余計なエネルギーを使わずに済むから、同僚や上司、顧客と良好な関係を築くことができ、仕事がスムーズに進みます。しかも仕事そのものに多くのエネルギーを使えるから、よりよい成果も出せるでしょう。結果として『あの人に仕事を頼むと気持ちよく仕事ができるし、いい成果が出てくる』と、自分の評価を高めることになります」(田中氏)
田中氏はある企業の派遣社員についてこんな話を聞いたことがあるという。その派遣社員は、まさに高い「対人力」発揮している人で、「こういう資料を作ってほしい」と依頼すると、いつも相手の期待を凌駕(りょうが)する成果物を作ってくれたとのことだ。彼女が産休に入る際には、早く復帰してくれることを社員がこぞって期待したそうだ。こんなふうに、仕事を進める上で相手の考えを察し、一歩先を読み、時に人を巻き込みながらうまく仕事ができる「察する力」の持ち主は、自ずと周囲からの評価も高くなるという。
ただ、ここで一つ注意すべきことがある。察する力は、決して、周りの状況を見て口をつぐむ「空気を読む力」とイコールではないということだ。
「察する力には二つのことが必要です。一つは、『こういうふうにコミュニケーションをすると、相手はどう思うか』『どう読み取ってくれるか』を前もって考える想像力です。もう一つは、その場で相手をよく見る観察力で、特に対面でコミュニケーションするときには重要になります」(田中氏)
コミュニケーションはコーディングのフレームワークと同じ、スキルの一つ
ここまでの話はもっともだ。だが、いくら自分が対人力を発揮したくても、「相手があいまいにしか話してくれないのだから、仕方ない。どうしようもないじゃないか」と思う人もいるだろう。田中氏は、そうした気持ちも分からないではないとしながらも、「相手が変わるのを待っていても仕方ありません」と指摘した。
世の中には、「変えられるもの」と「変えられないもの」とがある。「過去」は変えられないが、「今」は変えられる。「性格」は変えられなくても、「行動」は変えられる。同じように「相手は変えられないけれど、自分は変えようと思えば変えられる。自分の性格を変えられなくても、コミュニケーションの仕方は変えられる」と田中氏は述べた。
田中氏がこのように「コミュニケーションの仕方は変えられる」と言うと、「そんなの無理です」「そんなキャラじゃありませんから」という反応が返ってくることも多いそうだ。だが、コミュニケーションは「性格」ではなく、あくまで「スキル」の一つだと言う。「内向的な性格は変えなくても構いません。コミュニケーションはスキルであり、テクニックですから、後はそれを使うか使わないかの違いです」
「例えばプログラムを書くときに、一定のフレームワークやコーディング規約に従うのと同じことです。『そんなの私のキャラじゃない』といってフレームワークを使わない人はいません。コミュニケーションも同じことで、性格は関係ありません」(田中氏)
田中氏自身も、スキルとしてのコミュニケーションを使いこなすことで、非常に仕事がしやすくなったそうだ。「私は、まずメールの書き方を変えました。20代のころは正論をそのまま書いて、相手から『攻撃的だ』と受け止められることも多かったので、送信前に相手の受け止め方を想像しながら修正し、送信するようにしました。すると、人との衝突が減りました。同じようにして話し方も変えてみたところ、周りとの摩擦も減ってとても仕事がしやすくなりました。こうした経験を経て、コミュニケーションはスキルだったんだ、ということを私も実感しました」
もしそれでも抵抗を感じるならば、まずは小さなことから試してみてほしいという。「いっぺんにすべてコミュニケーションのやり方を変えるのは無理な話です。サプリメントのように少しずつ入れていくといいでしょう」