労働者派遣法①|わかりやすく解説「派遣法」の歴史【前編1986〜2004】

2020.11.30

労働者派遣法①|わかりやすく解説「派遣法」の歴史【前編1986〜2004】

「なぜこんなに難しいのだろう」と、複雑な労働派遣法(以下「派遣法」)の理解に悩む企業の担当者も多いのではないでしょうか。2020年に改正されたばかりの派遣法ですが、社会情勢や景気の動向、雇用形態の多様化などさまざまな変化に伴って、これまで何度も改定が繰り返されてきました。なぜ改正が必要だったのか、その時々の背景と目的を知ることは、現在の派遣法への理解をより深めてくれます。

そもそもどのような背景から「派遣」という雇用形態が生まれたのでしょうか。今回の【前編】では、日本における派遣ビジネスのなりたちから1986年の派遣法施行、その後2004年まで続く規制緩和への流れをご紹介します。

〜1965年 派遣法前史① 中間業者による「人貸し」の時代

「必要な時、必要な場所に、必要な労働力を提供する」という、現在の派遣という雇用形態につながる人材ビジネスの歴史は意外に古く、江戸時代にその原型を見ることができます。

強制的な労働や搾取が横行した人材ビジネス

江戸時代から戦前までの労働者供給は「人貸し」「組請負」などと呼ばれ、供給業者による労働者の不当な支配が伴っていました。雇用関係や責任所在が曖昧だったため、劣悪な労働環境や供給元による賃金の搾取(いわゆるピンハネ)といった問題が蔓延します。これらの問題を受け、戦後1947年に公布された職業安定法第44条により、「労働者供給事業」は原則として禁止されるに至りました。

1966年〜 派遣法前史② 「業務請負」による人材活用の時代

派遣法が制定されるまでの間においては、人材派遣に代わる類似の仕組みとして「業務請負」という形態が存在しました。「業務請負」は、1947年にアメリカ合衆国で誕生したとされていますが、1966年には米国企業が日本に進出し、外資系企業の事務処理を中心に業務展開を開始します。

「派遣」ではなく「業務請負」という形態で企業のニーズに対応

1970年代に入ると、当時は人材派遣が職業安定法第44条で禁止されている「労働者供給」に該当したため、「自社の雇用する労働者を指揮命令し、発注者から依頼された業務を完遂させる」という業務請負の形態で対応し始めました。日本企業でも、「社内の人材だけでは対応しきれない業務を、専門的な知識や技術を持つ外部人材で補う」というこのスタイルが注目され、どんどん普及していきます。

1986年〜 派遣法施行 「直接雇用保護」の時代

1980年代に入ると、経済のグローバル化や技術革新が進むなか、より多様な人材活用へのニーズに応えるかたちで、ついに派遣法が成立します。

日本型雇用システム外の人材活用

日本経済は、「新卒一括採用」「年功序列型賃金」「終身雇用」という、いわゆる日本型雇用システムによって大きく成長してきました。しかし、産業構造の変化や技術革新が進むにつれ、そうした雇用による人材のみでは対応しきれず、一時的に専門的な知識や技術が求められる機会も増えてきました。
そして、その流れを受け日本でも1985年に派遣法が成立しました。成立の背景には、より多様な労働力需給システムを求める気運の高まりがありましたが、あくまでも「正規雇用社員の雇用(直接雇用)を脅かす存在にしない」ということが大前提でした。

労働者供給事業から「派遣」のみを合法化

労働者派遣とは、「派遣元と労働者との間に雇用関係があり、労働者は派遣先の指揮命令により労働を提供する」しくみです。
この構造自体は、すでに禁止されていた「労働者供給事業」と類似していますが、違法な労働者供給事業とは以下の点で異なります。

  • 雇用関係が明確化している
  • 派遣会社が雇用主としての責任を果たす
  • 労働者派遣契約の内容に基づく範囲で派遣先が指揮命令関係のみを有する

以上により、中間搾取の問題は生じず、労働者の保護を図ることができます。つまり、労働者派遣は、労働者供給のカテゴリーから派遣法により特例的に認められた雇用形態なのです。

成立当初は13の業務に限定

1985年の派遣法成立当初、派遣の対象として認められていたのは、専門的な知識や技術、経験が必要とされる13業務のみでした(ただし、施行後直ちに3業務追加されて16業務となりました)。
派遣が認められたのは非常に限定的な業務のみです。
日本的雇用システムの維持や直接雇用(正規雇用社員)を保護するという色合いが強く、常用代替のおそれ、つまり直接雇用の労働者が派遣労働者に置き換えられる可能性が少ない業務に限っての解禁でした。

1996年〜 規制緩和① 派遣の対象業務拡大、ポジティブリスト時代

派遣法の施行以降、バブル景気の拡大に伴って人材需要が高まり、派遣市場も活況を見せます。しかし1990年代初頭にバブルが崩壊すると、日本経済は一転低成長期に入ります。派遣に対する企業のニーズも変化し、それにあわせ対象業務は拡大されました。
こうした状況のなか、政府も民間の活力を引き出すための規制緩和を進め、1996年には派遣労働の適用対象に新たな10の業務が加わり、計26業務(政令26業務)となりました。このように、派遣労働が可能な業務だけを指定し、それ以外を禁止する方式は、「ポジティブリスト方式」と呼ばれました。

1999年〜 規制緩和② 派遣の対象業務自由化、ネガティブリスト時代

バブル崩壊による景気低迷が長引くなか、1997年、国際労働機関(ILO)総会で新たな見解が示されます。それまで「労働力の需給調整は国が行う」ことを推奨してきたILOでしたが、「労働者派遣事業をはじめとする民間事業者の役割を認めて活用し、そのうえでこれを利用する労働者の保護を図る」という趣旨の条約が採択されました。

対象業務は「ポジティブリスト」から「ネガティブリスト」へ

長引く景気低迷のなか、新たに示されたグローバルスタンダードに添うかたちで、日本の派遣法の規制緩和も大きく進みます。
派遣労働が可能な業務だけを指定してそれ以外は禁止するという「ポジティブリスト方式」から、原則自由で禁止する業務だけを指定する「ネガティブリスト方式」に転換されたのです。
ただし、「政令26業務」については派遣期間を上限3年、新たに対象となった業務については上限1年という期間制限が設けられました。

労働者派遣の適用除外・禁止業務とは?

人材を派遣することも、派遣社員を受け入れることもできないとされた業務(ネガティブリスト)には以下のようなものがあります。労働者を保護する独自の制度が制定されていたり、医療や仕業などより専門的な資格やスキルが求められたりする職種に関しては、派遣労働での業務が禁止されました。

1999年改正時の「ネガティブリスト」

  • 港湾運送業務
  • 建設業務
  • 警備業務
  • 医療関係の業務
  • 物の製造業務
  • 士業 など

2000年、直接雇用を前提とした「紹介予定派遣」解禁

2000年には、直接雇用の促進を目的として、紹介予定派遣が解禁になりました。これは労働者派遣と職業紹介を融合した制度で、労働者派遣終了後に派遣会社が派遣先に職業紹介をすることを予定しておこなう労働者派遣を指します。企業と労働者のミスマッチを軽減し、直接雇用の機会を増加させるための制度といえます。

2004年〜 規制緩和③ 対象業務・派遣期間の制限が撤廃された時代

1999年の大幅改正後も、政府による行政改革、構造改革の意向をくむ規制緩和推進の動きはさらに勢いを増していきます。
デフレが長期化するなか、効率的なアウトソーシングが企業の経営戦略に組み込まれるようになったのもこの時代です。
こうした流れを受け、2004年から2007年にかけて派遣可能な業務や派遣期間に関する規制が段階的に緩和・撤廃されました。

2004~2007年の規制緩和

2004年 ◇「物の製造業務」への派遣を解禁(期間は最長1年)
◇「政令26業務」の派遣期間制限の撤廃
◇1999年の改正で解禁された業務の派遣期間を1 年から最大 3 年まで延長
2006年 ◇医療関係業務の一部で派遣を解禁 ※
2007年 ◇「物の製造業務」の派遣受け入れ期間を最長3年に延長

※産前産後休業・育児休業・介護休業中の労働者の業務と僻地での就業に限り、それまで原則禁止(注)とされていた医療関係業務への派遣が可能になりました。なお、医療関係業務への「紹介予定派遣」は2004年より認められています。

まとめ

派遣法の歴史【前編】では、派遣法の成立前から対象業務や期間が大きく緩和された2004年の沿革を振り返りました。
米国から持ち込まれ、多様な人材活用ニーズに応えるかたちで成立し、バブル景気とその崩壊、長期的な景気低迷の時代のなか、規制緩和という方向で改正を重ねた派遣法。
この後、世界同時不況をきっかけに、人材派遣というビジネス、そして派遣法はさらに変化を重ねます。規制緩和から一転、規制強化へとシフトする詳細は以下の記事で解説します。

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